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秀の家・ひでのや について
秀の家は1910年代に東京浅草で我が祖母が創業しました。
間もなく発生した関東大震災、太平洋戦争に遭遇しながら
戦後も1966年に祖母が他界するまで続きました。
孫の私も昭和の浅草で祭と縁日、冠婚葬祭につきものの
昔ながらの和菓子に加えやたらと懐かしい洋菓子店の
バターケーキ。マッキントッシュ、トブラローネやハーシーチョコ,
そしてリグレイのガムなどなど。
沢山の露店、屋台そして駄菓子屋の手造りの砂糖菓子や
紙芝居のおじさんの練ってくれた水飴に育てられました。
それからほぼ半世紀、八王子で庭先に造った掘っ立て小屋で
駄菓子店としてまたその名を名乗ることになりました。
何卒皆様の末永いご愛顧をお願い申し上げます。
第二次大戦前に描かれたと思しき秀の家の
広告用の挿絵と浅草神社西門に現存する
秀の家が寄進した玉垣。
©ひでのや
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